久実side露天風呂付き客室は落ち着きのある場所なのに、赤坂さんと二人きりでいるせいか落ち着きない私。お風呂に浸かりながら外を見ているけれど何も考えられない。二人きりで温泉に来るなんてまずかったかな。私がお風呂から上がって、赤坂さんが入っている間に家に戻ってしまおうか。ガラっと音がして振り向くと全裸の赤坂さんが立っていた。状況が理解できずにポカンと見入ってしまう。締まった身体には筋肉しかついていない。芸術品を見ている気分になった。が、同時に私も見られているのだと理解し慌てて背中を向けた。「なっ、なんなの! 冗談でも笑えないから!」体の傷を見られてしまう。それだけは絶対に嫌だった。お湯が揺れる。赤坂さんが中へ入って来たのだ。私のことを妹のような存在だと思っているから平気でこんなことをしてくるのだ。だから私も平気なふりをして対応する。「覗かないでって言ったのに」「覗いてない」「はあ?」「堂々と見てる」「………なにそれ」「混浴くらいいいだろ」「よ、よくない!」一緒に入るのが嫌なんじゃなくて、どちらかと言うと、胸にある傷を見られたことにショックを受けていた。赤坂さんが付き合ってきた人たちは超美人な人ばかりだろうから、がっかりされたくなかった。心臓がドキドキしすぎて耳まで熱くなってしまう。ぎゅっと後ろから抱きしめられる。素肌が密着していて、頭がおかしくなっちゃいそうだ。「いやっ」「何もしないから」「充分、してる! 離れてって」立ち上がろうとすると、さらに力が込められる。赤坂さんったら、久しく彼女がいないからそんな気分になったの?「なぁ? 傷は癒えた?」困っている私の耳元でつぶやかれる。「は?」「ハタチの時の……失恋の傷」そんなことすっかりと忘れていた。「…………癒えたけど、もう恋愛はしないことにしてるの。お願い、離して」赤坂さんの硬いものが背中に当たってビクッと身体が震えた。赤坂さんはどんな気持ちなのだろうか。なんとなく流れでしてしまって関係が壊れるなんて、嫌だ。「久実……あのな、聞いてほしいことがあるんだけど」「無理。熱くてのぼせちゃう」「…………お前はさ、俺が男だってわかっていて温泉に来たんだよな?」「今、わかった! ごめんなさい。赤坂さんを信じた私は大バカでした」「じゃあ、責任取れ」
*朋代と仕事帰りに会えることになり、近くのカフェで落ち合っていた。先日のことを相談しようか迷ったけれど、心に閉まっておくことができなくて朋代に相談した。「………久実のこと、好きなんじゃないの?」確信ある声に私は一つ頷いた。「そうかもしれないね」赤坂さんの先日の態度で、薄々と気がついてしまった自分がいる。私なんかを好きになるはずがないと思っていたけれど。赤坂さんは本当に優しい人だから、私を励ましている間に情が移ってしまったのかも。「いいじゃない。両想いなんだから」ニヤニヤ笑いながらからかうように言ってくる朋代。本来であればとてもいい報告に聞こえるかもしれないけれど、私の場合は違う。笑って惚気話をしている状況ではないのだ。「実は、検査結果があまりよくなくて……」「え?」カフェラテを一口飲んで真剣な表情で朋代を見つめる。「もしも、付き合って……。私が早く死んじゃったら、可哀想じゃない? あの性格なら一生、他の女と付き合わないとか言いそうだし」明るい口調で言ったけれど、かなり切なかった。きっと赤坂さんは、もしも付き合った彼女が死んでしまったら……。時間があればお墓に来ているだろうと思う。そんな悲しい姿を想像するだけでたまらなく切ない。だからこそ、情が移りすぎないように、もう会わないほうがいいかなと思っている。「ごめん、久実。私、何もわかってなくて」朋代は申し訳無さそうな顔をして、私を見ている。「謝らないで。仮に……彼が私を好きになってくれていたとしたら、幸せだったよ。あんなに凄い人が好いてくれたなんて、生まれてきて良かったと思えるし」「もっとワガママになりなよ。付き合えばもっと幸せな思い出を作れると思う」私は、首を横に振った。「いいの」「久実…………」「生きている間に心から好きだと思える人に出会えたことが、素晴らしい出来事だったから。あの人を思って切なくなって温かい気持ちになって。色んな感情を教えてくれただけでも感謝だよ」「普通のことを、幸せだと……思えることを、教えてくれた久実に私は感謝してる」いつも元気でハキハキしている朋代が目に涙を浮かべていた。
***久実二十四歳 赤坂三十歳 久実side十二月に入り、お父さんとお母さんが神妙な顔で病室にやってきた。嫌な予感がしたけど私は逃げずに話を聞くことにした。「二人そろってどうしたの?」「久実。落ち着いて聞いてほしいことがある」個室だったから、思う存分に話せる。私はだるい身体と戦いながら生きている状態だった。「久実の心臓は……手術をしても、もう……難しい」お父さんが苦しそうに言葉を紡いだ。「………そうなんだ」意外にも冷静に聞けていた。まるで他人事のように。「移植しかない」「…………移植?」「ただ、日本ではドナーが少ないから。できればアメリカに行かせたいと考えている」莫大な費用がかかる。お父さんもお母さんも一生懸命働いてくれていても、到底無理だ。今まで苦労してきただろう。もう、これ以上大変な思いはさせたくない。「いいよ。日本で見つかるまで待つよ」「何を言ってんだ! 父さんも母さんもできるところまで頑張るから、久実も諦めないでほしい」「そうよ。もう、募金活動もしているの。久実は大事な存在なの」二人が真剣に訴えてくれて、心が揺れる。――長生きしたい。移植が成功すれば人並みに生きられる可能性が高くなる。それに、子どもを産んでいる人もいると聞いたことがあった。「いくら……必要なの?」「一億だ」「そんなお金……普通の家族では無理でしょう!」「色んな方の寄付であと七千万あれば」絶望的な気分になった。だけど、私が取り乱すわけにもいかなくて……。黙って目を閉じるしかなかった。
年末年始は病院で過ごし、気がつけば二月になっていた。私は病室でぼんやりとテレビを見ている。二月七日、一日限定でCOLORはバレンタインライブをしたようだ。へぇー……紫藤さん、コンサートでプロポーズしたんだ。公開プロポーズなんてロマンチック。一般人の女性との純粋な恋愛だったと情報番組で伝えていた。どんなに苦しい恋愛だったとしても、二人に未来があるなら希望が持てる。私に……未来なんてない。いつも明るく強がっているけど、本当はものすごく怖い。しばらく入院生活が続いているが赤坂さんには、伝えていない。メールが届いても『忙しい』と言ってごまかしている。身体を起こして手鏡で自分の顔を見ると青白かった。もう、私の命は短いのかもしれない。治療をしてもよくならないし。入院期間はいつもよりも長い。薬も変えてばかりだし。短い人生だったな……。でも、赤坂さんという存在に出会えて、素敵な思い出を作ってもらえて。――幸せだったと思う。赤坂さんがはじめてお見舞いに来てくれた時に、プレゼントしてくれたブランケットを抱きしめる。そうすると、安心するのだ。もしも、叶うなら。長生きをして赤坂さんのおじいちゃんになった姿を見てみたい。きっと、年齢を重ねても素敵なんだろうなぁ……。
赤坂sideしばらく久実は会ってくれない。電話もメールも回数が減ってしまった。俺からは頻繁に連絡を入れるが……返事がない。俺は仕事が順調でジュエリーブランドのプロデュースをしたり、色んなことをさせてもらっている。次の撮影スタジオに向かう車の中で、ふと空を見ると高く澄んでいた。東京に春が訪れていたことにも気がついていなかった。四月になっていて、もうすぐ久実は二十五歳になる。俺は懲りずに久実を思っていて、次に会うチャンスがあれば……しっかりと告白するつもりでいた。どんな結果になっても、俺は久実に自分の気持ちを伝えようと思っている。いつまでもこのままじゃいけないと思うから。仕事が終わり楽屋にいる時、なんとなく嫌な予感がした。――久実は元気で過ごしているのだろうか。冬に届いたメールに――赤坂さんも、きっと幸せになるよ。と書いてあったのだ。ずっと会っていないし本当の状況はわからない。もしかして、入院しているのではないだろうか。久実は俺に嘘をついているかもしれない。スマホに登録されていた久実の母さんの番号を選んだ。十九時。まだかけても迷惑じゃないだろうと思って画面にタッチした。五コール数えたところで通話が開始される。『もしもし』「赤坂です。夜分遅くに申し訳ないです」『赤坂さん。お久しぶりです』「あの……久実さんはお元気ですか?」『えっ?』驚いた声が聞こえてきた。まるで状況を知らないのですか? と言いたそうな声だった。やはり、久実は元気ではないのかもしれない。体に流れている血液が凍っていくように不安で冷たくなった。「あの……。久実さん忙しいみたいで返事があまりなくて。ちょっと心配になってしまいまして」『………そうですか。心配かけたくなかったのでしょうね』「心配?」母親は言いづらそうにしながらも打ち明けてくれた。『ずっと入院しているんです。ドナー待ちなんですが、なかなか日本では順番が回ってこないのです。それなら少しでもチャンスがあるアメリカに行こうと思っていまして。アメリカに行く費用を募金しているところなんです』握り締めていたスマホを落としそうになってしまった。ドナー待ちって。そんなこと、聞いてなかった。「え、あの……久実さんの心臓は……」動揺して声が震えてしまう。『もう、移植しかないんです』「そんな……。
久実の家に着いたのは二十一時を過ぎたところだったが、ご両親は快く中に入れてくれた。L字に配置されたソファーに座って話を聞かせてもらう。移植しないとあと半年くらいしか生きられないことを知った。「子どもであれば比較的募金は集まりやすいのですが……。いや、それでもものすごく大変なんです。久実は、もうすぐ二十五歳になるのでなかなか集まらないのが現実なんです」悲しそうな顔をした父さんの顔を見られないくらい、俺も悲しかった。「あと、どのくらいなんですか?」「七千万です。……もう、無理かもしれません」「お父さん、そんなこと言わないで」母親も涙を浮かべていた。一日も早く移植をしてほしい。ここで俺が出るところじゃないかもしれないが、居ても立ってもいられなかった。「俺が残りを出します」「……そんな大金、返せないです。何年もかかりますし」父さんは慌てている様子だった。俺がそこまで言うとは思わなかったのかもしれない。「事務所の力を借りて募金活動をすればいいかもしれませんが、会議をかけてもらってもやってもらえるかわからないし、時間がかかりすぎます。俺は一日も早くアメリカへ飛んでもらいたいんです」ソファーから立ち上がった俺はゆっくりと床に正座をした。久実を失うと思うと、怖くてたまらない。男のくせに涙があふれて唇が震え出す。「お願いします……。三日で用意するので、久実さんを助けてください」深く頭を下げると、久実の父さんは慌ててソファーから降りてきて、俺の肩をつかんで体を起こした。目が合うと父親も涙を浮かべている。「力ない父親で情けない。少しずつでも返しますので久実を助けてください」「よろしくお願いします」母さんも頭を下げてくれた。「はい。ただ、久実さんには言わないでください。俺が出したと知ったら行かないって言うかもしれないので。気を使いすぎる、いい子だから……」俺は家に帰るとマネージャーに連絡を入れた。「どんな仕事でもやるから、とにかく仕事取ってきてくれ」『え……はぁ。事務所の許可が降りる範囲であれば』「いいから、わかったか?」二日後に俺は金を振り込んだ。久実が助かるなら何だってする。
久実side 「資金が集まった? そんな急に?」「ええ。これで久実も助かるかもしれないわね」満面の笑みを浮かべて洗濯物を片付けているお母さんを私はベッドの上でじっと見つめる。アメリカへ行けるのは嬉しいけれど……今まで簡単に集まらなかった寄付がどうして突然揃うわけ?何かがおかしいと思って問い詰めることにした。だって大切なお金だから気になって仕方がなかったのだ。「お母さん」「なーに?」「やっぱりおかしいよ。不正ルートで手に入れたお金なんじゃないの?」「……まさか」動揺するとお母さんは目を合わせなくなる。「教えて」「…………何を?」私の質問をかわそうとしているのが伝わってきた。ということはやはりただの寄付で集まったお金ではないのだろう。「誰から寄付してもらったの?」お母さんは私を見て手を握ってきた。その手は冷たくなっている。「お願い。どんなことがあってもアメリカへ行って手術を受けてほしいの」「…………」「言うなって、言われているのよ」「もしかして、赤坂さん…………?」お母さんは明らかに目の色を変えた。「久実は赤坂さんとお付き合いしているの?」「まさか。手に届くような人じゃない」「そう……」何かを考えたような表情したけど私の目をまっすぐと見つめてくる。「ちゃんと手術を受けてくれるわね?」「うん」手術を受けることができるのは嬉しかったけれど、赤坂さんに迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。「少しずつになるけど返すつもりでいるの」「…………私も働けるようになったら返す」「うん。一緒に頑張ろうね」その日の夜。私はスマホをじっと見つめていた。消灯時間は過ぎているけれど眠れない。赤坂さんにお礼をしたくて文章を作るけど、なかなか言葉がまとまらなかった。『赤坂さん。入院していることをずっと言えずにごめんなさい。そして、アメリカへ行けるようにしてくれてありがとうございます。一生かけても足りないくらいの感謝です。絶対に元気になって戻ってきて、社会復帰したら返します。ファンとアイドルの関係なのに、ここまでしてくださって申し訳ないです。大事な赤坂さんの人生です。私に費やすことはやめてください。久実』ずっと、返事を待っていたけれどスマホが光ることはなかった。
赤坂さんはテレビや雑誌に出まくっている。もしかすると、お金を稼ぐためなのではないかと思ってしまった。本当に、申し訳ない。五月に渡米する予定が決まった。今日は二十五歳の誕生日だった。ナースもドクターも天からのプレゼントだと言って喜んでくれた。「久実、誕生日おめでとう」お母さんは私に可愛いバッグをプレゼントしてくれた。真っ白な病室に目立つ真っ赤なバッグ。これを早く使える日がくればいいなと胸に期待が膨らむ。「四月十七日。十六時七分に久実が生まれたのよ。本当に幸せだった。すごく小さくて可愛くて一生、守っていきたいと思ったの」お母さんは誕生日のたびに、この話をしてくれる。「これからも、お母さんの大事な久実でいてね。一緒に頑張ろうね」お母さんは午後からパートがあるらしく帰った。朋代や赤坂さんの妹の舞さんなど、バースデーメールが届いた。ほっこりした気持ちでいると、足音が聞こえた。トントンと開いているドアの横の壁を叩かれて見ると、赤坂さんが立っている。かなり久しぶりに会う赤坂さんは、痩せた感じがした。「おう」「赤坂さん…………」「誕生日だろ? 会いに来てやったぞ」頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。ソファーの隣にある椅子に座ってプレゼントを渡された。細長い箱だ。なんだろうと思っていると「見てみろ」と言われてゆっくりリボンを解いた。ゴールドの包装紙を外して、箱を開けると……ネックレスが入っていた。「俺のファンだったらわかると思うけど」「…………赤坂さんがプロデュースしたジュエリーブランドの、一点物」「大正解。さすがだな」世の中にはかなりの額を払ってもこれを欲しがる人が大勢いるのに、私なんかにいいのだろうか。パールを包むようにダイヤでハートを作っている。「これ、初めて久実に会った時の髪型を参考にしたんだ」ツインテール……。まさか、私をイメージしてくれたなんて。感動しすぎて涙があふれてきた。私は、赤坂さんに何かを返せているのだろうか。
「赤坂さんのことが好きでも……両親の言うことを聞かなきゃって思って」「ってかさ、なんで早く言わなかったんだ?」苛立った口調に怖気づきそうだった。「考えて悩んで……私もそう思ったから。それに、これ以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの」「迷惑だと? ふざけんじゃねぇぞ」乱暴に私を抱きしめた。赤坂さんの胸に閉じ込められる。かなり早い心臓の音が聞こえてきた。「俺のこと信じろって」「赤坂さん。ごめんね」「バカ」涙があふれ出し、私は赤坂さんにしがみついた。赤坂さんはもっと強く私を抱き止めてくれる。「でも、好きな気持ちには勝てなかったの」「………」体を起こしてキスをされた。すごく優しいキスに胸が疼く。私のボブに手を差し込んで熱いキスに変わっていく。舌が絡み合い、濡れた音が耳に届いた。唇が離れると赤坂さんは今までに見たことない瞳をしている。「久実、愛してる」「……私も、赤坂さんのことが好き」「俺もだ」「今まで本当にごめんなさい」「大好きっ、赤坂さん、大好き」「うん。俺も」私も赤坂さんのために自分のできる限り尽くしたいと思った。守ってもらうだけじゃなくて、守ってあげたい。頭を撫でられて心地よくなってくる。「両親に認めてもらえるように……頑張るから」赤坂さんはつぶやいた。だけど、すごく力強い言葉に聞こえた。「近いうちに会いに行きたい」「うん………」「やっぱりさ、思いをちゃんと伝えて理解してもらうしかないから」「そうだね……」「俺はどんなことがあっても久実を離さないから。覚えてろよ」頼もしい赤坂さんに一生着いて行く。私は赤坂さんしか、いないから。きっと、大丈夫。絶対に幸せになれると思う。私は赤坂さんのことが愛しくてたまらなくて、自分から愛を込めてキスをした。エンド
そして、四日になった。前日から緊張していてあまり眠れなかった。化粧をして髪の毛をブローした。リビングにはお母さんがいて、テレビを見ていた。「友達と会ってくるね」「気をつけてね」「行ってきます」家を出ると、まだ午前の空気は冷たくて、身震いした。手に息を吹きかけて温める。電車に向かって歩く途中も緊張していた。ちゃんと、思いを伝えることができるといいな……。赤坂さんに恋していると気がついたのはいつだったんだろう。かなり長い間好きだから、好きでいることがスタンダードになっている。できることなら、これから一生……赤坂さんの隣にいたい。マンションに到着し、チャイムを押すとオートロックが開いた。深呼吸して中へ入った。エレベーターが速いスピードで上がっていく。ドアの前に立つといつも以上に激しく心臓が動いていた。チャイムを押すと、ドアが開いた。「おう」「お邪魔します」赤坂さんはパーカーにジーンズのラフな格好をしているが、今日も最高にかっこいい。私は水色のセーターとグレーの短めのスカート。ソファーに座ると温かい紅茶を出してくれて隣にどかっと座った。足はだいぶ楽になったらしくほぼ普通に過ごせているようだ。「久実が会いたいなんて珍しいな」「うん……。話したいことがあって」すぐに本題に入ると、空気が変わった。赤坂さんに緊張が走っている感じだ。「ふーん。なに」赤坂さんのほうに体ごと向いて目をじっと見つめる。何から言えばいいのか緊張していると、赤坂さんはくすっと笑う。「ったく、何?」緊張をほぐそうとしてくれるところも優しい。赤坂さんは人に気を使う人。「私……、赤坂さんのことが好きなんです」少し早口で伝えた。赤坂さんは顔を赤くしているが、表情を変えない。「うん……。で?」「好きなんですけど、交際するのを断りました。その理由を話に来たんです」「……そう。どんな理由?」しっかり伝えなきゃ。息を吸って赤坂さんを見つめた。「両親に反対されています」「え、なんで?」「赤坂さんは恩人ですから……。 だから、対等じゃない……から……」頭の後ろに片手を置いて困惑した顔をしている。眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと閉じていた。
年末になり、赤坂さんは仕事に復帰した。テレビで見ることが多くなり、お母さんと一緒に見ていると気まずい時もあった。四日に会う約束をしている。メールは毎日続けているが会えなくて寂しい。ただ年末年始向けの仕事が多い時期だから、応援しようと思っている。私も年末年始は休暇があり、仕事納めまで頑張った。そして、両親と平凡なお正月を迎えていた。こうして普通の時を過ごせることが幸せだと、噛み締めている。今こうしてここにいるのも赤坂さんと両親のおかげだ。心から感謝していた。『あけましておめでとうございます。四日、会えるのを楽しみにしています』赤坂さんへメールを送った。『あけおめ。今年もよろしくな。俺も会えるの楽しみ』両親が反対していることを伝えたら赤坂さんはどう思うだろう。不安だけど、しっかりと伝えなきゃいけないと思った。
「……美羽さん。ありがとうございます」「ううん」「私も赤坂さんを大事にしたい。ちゃんと話……してみます」「わかった」天使のような笑顔を注いでくれた。私も、やっと微笑むことができた。「あ、連絡先交換しておこうか」「はい! ぜひ、お願いします」連絡先を交換し終えると、楽しい話題に変わっていく。「そうだ。結婚パーティーしようかと大くんと話していてね。久実ちゃんもぜひ来てね」「はい」そこに大樹さんと赤坂さんが戻ってきた。「楽しそうだね」大樹さんが優しい声で言う。美羽さんは微笑んだ。本当にお似合いだ。「そろそろ帰るぞ久実」「うん」もう夕方になってしまい帰ることになった。「また遊びに来てもいいですか?」「ぜひ」赤坂さんが少し早めに出て、数分後、私もマンションを出た。赤坂さんとゆっくり話すのは次の機会になってしまうが、仕方がない。本当は今すぐにでも、赤坂さんに気持ちを伝えたかった。二日連続で家に帰らないと心配されてしまうだろう。電話で言うのも嫌だからまた会える日まで我慢しようと思う。私は、そのまま電車に向かって歩き出した。
急に私は胸のあたりが熱くなるのを感じた。「占いがすべてじゃないし、大事なのは二人の思い合う気持ちだけど。純愛って素敵だね」私が赤坂さんを思ってきた気持ちはまさに純粋な愛でしかない。「一般人と芸能人ってさ……色んな壁があって大変だし……悩むよね。経験者としてわかるよ」「…………」「でも、好きなら……諦めないでほしいの」好きなんて一言も言ってないのに、心を見透かされている気がした。涙がポロッと落ちる。自分の気持ちを聞いてほしくてつい言葉があふれてきた。「赤坂さんに好きって言ってもらったんですけど、お断りしたんです」「どうして……?」「心臓移植手術が必要になって、多額な金額が必要だったんです。赤坂さんが費用を負担してくれて私は助かることが出来ました。両親が……」言葉に詰まってしまう。だけれども、言葉を続けた。「対等な関係じゃないからって……。お父さんが、財力が無くてごめんと言うので……」「ご両親に反対されてるのね」深くうなずいて涙を拭いた。「私を育ててくれた両親を悲しませることができないと思いました。それに、健康じゃないので赤坂さんに迷惑をかけてしまうので」うつむいた私の背中を擦ってくれる美羽さん。「そっか……。でも、赤坂さんは、誰よりも久実ちゃんの体のことは理解した上で好きって言ってくれたんじゃないかな」「…………」「赤坂さんに反対されていることは言ったの?」「いえ……」「久実ちゃんも、赤坂さんを大事に思うなら。赤坂さんに本当のことを言うほうがいいよ。赤坂さんはきっと傷ついていると思う。好きな人に付き合えないって言われて落ち込んでるんじゃないかな」ちょっときついことを言われたと思った。だけど、正しいからこころにすぅっと入ってくる。美羽さんは言葉を続ける。「久実ちゃんがね、手術するために日本にいない時に……。さっきも言ったけど、私、大くんと喧嘩しちゃって赤坂さんに相談に乗ってもらったことがあったの。その時から、久実ちゃんのことを聞かせてもらっていたの。赤坂さんは心底久実ちゃんを好きなんだと思うよ」必死で私をつかまえてくれる。赤坂さんの気持ちだろう。痛いほどわかるのだ。なのに勇気がない。私は、意気地なしだ。でも、このままじゃいけないと思った。勇気を出さなければ前に進めないと心が定まった。
楽しく会話をしながら食事していた。食べ終えると、大樹さんは赤坂さんを連れて奥の部屋に行ってしまう。美羽さんが紅茶とクッキーを出してくれた。二人並んでソファーに座る。部屋にはゆったりとした音楽が流れていた。自然と気持ちがリラックスする。しばらく、他愛のない話をしていた。「赤ちゃんがいるの」お腹に手を添えて微笑んでいる美羽さん。まるで天使のようだ。「安定期になるまでまだ秘密にしてね」「はい……。あの、体調大丈夫ですか?」「うん。妊婦生活を楽しんでるの。過去にできた赤ちゃんが帰ってきた気がする」美羽さんは、過去の話をいろいろと聞かせてくれた。辛いことを乗り越えた二人だからこそ、今があるのだと思う。気さくで優しくてふんわりとしていて本当にいい人だ。紫藤さんは美羽さんを心から愛する理由がわかる気がする。私は心をすっかり開いていた。「赤坂さんのこと……好きじゃないの?」「え?」突然の質問に動揺しつつ、マグカップに口をつけた。「いい人だよね、赤坂さん。きついことも言うけど正しいから説得力もあるし」「……」「実は 夫と喧嘩したことがあってその時に説得してくれたのも 赤坂さんだったの」「 そうだったんですね」「二人は……記念日とかないの?」「記念日なんて、付き合ったりはしていないので」「はじめてあった日とか……。何年も前だから覚えてないよね」ごめんと言いながらくすっと笑う美羽さん。初めて赤坂さんに会った日のこと――。子どもだったのに鮮明に記憶が残っている。まさか、あの時は恋をしてしまうとは思わなかった。こんなにも、胸が苦しくなるほどに赤坂さんを愛している。「ねえ、果物言葉って、知ってる?」「くだものことば? 聞いたことないです……」「誕生花や花言葉みたいなものなの。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったもので……。果物屋の仲間達が作ったんだって」「はぁ」美羽さんは突然何を言い出すのだろう。ぽかんとした表情を浮かべた。「あはは、ごめん。私フルーツメーカーで働いていたの。なにかあると果物言葉を見たりしてさ。基本は誕生日で見るんだろうけど……記念日とかで調べて見ると以外に面白いの」「そうなんですか……」「うん。大くんと付き合った日は十一月三日でね、誕生果は、りんご。相思相愛と書かれていて……。会わな
タクシーで向かうことになったが、堂々と二人で行くことが出来ないので別々に行く。大スターであることを忘れそうになるが、こういう時は痛感する。二人で堂々と出掛けられないのだ。……切ないな……。美羽さんは大樹さんと結婚するまでどうしていたのだろう。途中で手ぶらなのは申し訳ないと思いタクシーを降りた。デパートでお菓子を買うと、すぐに違うタクシーを拾って向かった。教えられた住所にあったのは、大きくて立派なマンションだった。おそるおそるチャイムを押す。『はい。あ、久実ちゃん。どーぞ』美羽さんの声が聞こえるとオートロックが開いた。どのエレベーターで行けばいいか、入口の地図を確認する。最上階に住んでいる大樹さん夫妻。さすがだなーと感心してしまう。エレベーターは上がっていくのがとても早かった。降りるとすぐにドアがあって、開けて待っていたのは美羽さんだった。「いらっしゃい」微笑まれると、つられて笑ってしまう。「突然、お邪魔してすみません。これ……つまらないものですが」「気を使わないで。さぁどうぞ」中に入ると広いリビングが目に入った。窓が大きくて太陽の日差しが注がれている。赤坂さんはソファーに座っていて、大樹さんは私に気がつくと近づいてきた。「ようこそ」「お邪魔します」「これ、頂いちゃったの」美羽さんが大樹さんに言う。「ありがとう。気を使わないでいいのに」美羽さんと同じことを言われた。さすが夫婦だなって思う。赤坂さんも近づいてきた。「遅いから心配しただろーが」「赤坂さん。ごめんなさい」「一言言えばいいのに」一人で不安だったから、赤坂さんに会えて安心する。「さぁランチにしましょう」テーブルにはご馳走が並んでいた。促されて座る。私と赤坂さんは隣に座った。「いただきます」「口に合うといいけど」まずはパスタを食べてみた。トマトソースがとっても美味しい。「美味しいです。美羽さん料理上手なんですね」「とんでもない。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったんだよ」「そう。困った子だったんだ」見つめ合って微笑む二人がとても羨ましい。いいなぁ。私も赤坂さんとこうやって過ごせたら幸せだろうなぁ。
「妹が置いていった服ならあるけど。サイズ合うかな」「勝手に借りていいのかな?」「心配なら聞いてやるか」スマホで電話をはじめる。「あ、舞? 久実に服貸していい?」『えー! 家にいるの? 泊まったってことは、えーなに? 付き合ってるとか~?』ボリュームが大きくて話している内容が聞こえてしまう。「付き合ってくれないけど、まぁ……お友達以上だよ。じゃあな」お友達以上だなんて、わざとらしい口調で言った赤坂さんは、得意げな顔をしている。「……じゃあ、お借りするね」黒のニットワンピース。着てみるとスカートが短めだった。ひざ上丈はあまり着たことがないから恥ずかしい……。着替えている様子をソファーに座って見ている。「見ないで」「部屋、狭いから仕方がないだろう」「芸能人でお金もあるんだから引っ越ししたらいいじゃない」「結婚する時……だな」その言葉にドキッとしたが、平然を装った。私と……ということじゃない。一般的なことを言っているのだ。メイクを済ませると赤坂さんは立ち上がって近づいてくる。見下ろされると顔が熱くなった。「可愛い。またやりたくなる……」両頬を押さえつけたと思ったら、キスをされる。吸いつかれるような激しさ。顔が離れる。赤坂さんの唇に色がうつってしまった。「久実……愛してる」……ついつい私もって言いそうになった。「せっかく 口紅塗ったのに汚れちゃったじゃないですか」 私はティッシュで彼の唇を拭った。 すると 私の手首をつかんで動きを止めてまた さらに深くキスをしてきた。「……ちょっ……んっ」「久実、好きって言えよ」「……時間だから行かなきゃ」
久実sideふんわりとした意識の中、目を覚ますとまだ朝方だった。今日は休みだからゆっくり眠っていたい。布団が気持ちよくてまどろんでいると、肌寒い気がした。裸のままで眠っている!そうだった……。また、赤坂さんに抱かれてしまったのだ。逃げればいいのに……逃げられなかった。私の中で赤坂さんを消そうと何度も思ったけど、そんなこと無理なのかもしれない。すやすや眠っている赤坂さんを見届けて、ベッドから抜けようとするとギュッとつかまれた。「どこ行くつもりだ」「帰る」「………もう少しだけ。いいだろ」あまりにも切ない声で言うから、抵抗できずに黙ってしまう。強引なことを言ったり、無理矢理色々したりするのに、どうして私は赤坂さんのことがこんなにも好きなのだろう……。もう少しだけ、赤坂さんの腕の中に黙って過ごすことにした。太陽がすっかり昇り切った頃、ふたたび目が覚めた。隣に赤坂さんはいない。どこに行ってしまったのだろう。自分のスマホを見るとお母さんから着信が入っていた。「……ああ、心配させちゃった……」メールを打つ。『友達と呑みに行くことになって、そのまま泊まっちゃった』メッセージを送っておいた。家に帰ったら何を言われるだろう……。恐ろしい。「おう、起きてたのか」赤坂さんはシャワーを浴びていたらしい。上半身裸でタオルを首にかけたスタイルでこちらに向かってきた。あれ……昨日は一人じゃ入れないって言ってたのに。なんだ、一人で入れるじゃない。強引というか、甘え上手というのか。私はついつい赤坂さんに流されてしまう。そんな赤坂さんのことが好きなのだけど、このままじゃいけないと反省した。「今日、休みだろ?」「……うん」「じゃあ、大樹の家行こう」「は?」唐突すぎる提案に驚いてしまう。「暇だったらおいでって連絡来たんだ。美羽ちゃんも久実に会いたがってるようだぞ」美羽さんの名前を出されたら断りづらくなる。優しい顔でおいでと言ってくれたからだ。「でも……服とかそのままだし……」「そこら辺で買ってくればいいだろ」「そんな無駄遣いだよ」まだベッドの上にいる私の隣に腰をかけた。そして自然と肩に手を回してくる。「ちょっと……近づかないで」「なんで?」答えに困ってうつむくと赤坂さんは立ち上がってタンスを開けた。